私はミカン農家の末っ子として1944年に生まれたが家業を手伝わされたことは無かった。私が幼い頃「大きくなったら兄ちゃんと一緒にミカンつくりする」と頻繁に言っていたらしいが、全く記憶に無い。私が覚えているのは親父が頻繁に言う「月給取りはいいぞ」だ。今想えば我が家の農地は二家族を養える広さはない。それ故の「家業の手伝いなし」の解釈は可能だ。しかし長男以外が学校に通いながら家業を手伝うのは私の育った地域では当然だった。確実に言えることは、私は甘やかされて育ったのだ。

私は高校を卒業し、入社までには多くの日数があり退屈していた。当時兄夫婦は竹藪をミカン畑に変える作業をしていた。私は手伝いたいと願い開墾作業をやってみた。開墾のための道具は主に「自然薯掘り用の鶴嘴(つるはし)・備中鍬・スコップ」だ。鶴嘴は小学校の高学年時から私の大好きな自然薯掘りで使っていたので馴染みがあった。

やってみると言葉では表現できない充実感と楽しさを体験できた。人類が農耕を始めた時点から私の両親に至る長年の農作業で、私が受け継いだ遺伝子には農作業で快楽物質を分泌する仕掛けが組み込まれた?・・・ 「月給取りの定年が来たら畑をやる」はこの時に決め、一度も迷うことはなかった。

月給取りの定年を待ちきれず、家族を持った公団住宅住時代は団地の近くの狭い畑を借りての野菜栽培、戸建てに越してからは庭に葡萄(ニューヨークマスカット)・ブラックベリーを植えて楽しんだ。庭での栽培は最高だね、毎日目を向けるだけで楽しめる。公団住宅時代と今は自転車で双方10分以上の距離があって不便だ。今では年間2~3度はアパートの鍵を入れたウエストポーチを付け忘れて帰り、畑まで2往復の日がある。畑までは、登りと下りが合わせて3度あり普段なら足が鍛えられると喜んでいる。しかし、作業をやり終えての往復は80代の身にはきつい。この時は「畑でも自転車に毎日鍵をかけてウエストポーチに入れろ!」 と強く思うが未だ一度も実行したことがない。