日本は黒船来航から百年以上を費やして1975年に「G7」が発足した時点でその構成国になった。私はその時までに先進国には不充分な人材選抜基準(各自が多分野のペーパーテストを受けその平均点の高さ)に先進国の国民に相応しい新基準を加えるべきだったと思う。
更に人類は情報化社会を実現させ、今(西暦2025年)ではAIの時代とも言われている。日本が先進国と認められた時と情報化社会が実現した時、「知識の価値は二度暴落」したことを全国民が認識すべきだ。同じことだが念のために言えば、理解力の価値が二度暴落したのだ。
多分野に亘る優れた理解力は、長年の平均点主義による人材選抜と馴染みやすさから日本人の揺るぎない価値観として定着した。博識は社会生活を楽しむ能力に直結するので私も大切と思うが、それだけで人材選抜して問題の無い時代は過ぎ去った。
日本は1970年代に先進国と認められた。換言すれば真似するものが無くなった、いや真似ばかりしてはダメな国に進化したのだ。1970年代以降の日本国民にとって更なる国の経済成長の実現には、知識や情報を活かす能力:創造力が必須となった。このことに国民が気づかなければ日本の未来は無いと私は思う。

現在の日本では各所で、他人の出した知恵を理解する力(理解力)だけで選抜された人達が仕切っている。このことこそ日本が先進国の末尾に達したが先頭に立てず、経済的にも停滞を続ける原因ではないのか。理解力とは、既に在る「モノ」を対象とした能力だ。しかし先進国の維持と更なる発展には未だ存在してない「モノ」を創造する能力が必須なのだ。
先進国に必須の人材、それは創造力(知識を活かす能力)を備えた人である。私が見た日本を一言で表現すれば、創造的人材の欠乏となる。創造的人材欠乏の原因は平均点主義による人材選抜を長期間続け大多数の国民を平均点主義者に仕立てたことだ。
